Text:Rei Masuda (Curator of Photography, MOMAT)
テキスト:増田 玲 (東京国立近代美術館主任研究員)
ミヒャエル・シュミットの『NATUR』は、ドイツの現代写真において異彩を放つ存在だったこの写真家の遺作となった写真集だ。
第二次大戦終結直後の1945年10月に東ベルリンに生まれたシュミットは、幼少期に家族とともに西地区に移り、そこで成長する。この都市を東西に分断する壁が建設されるのは1961年。シュミットはこの冷戦の時代に写真家として出発し、1989年の壁の崩壊やそれに続く東西ドイツの統一をベルリン市民として体験する。そして2014年5月に死去するまで、ベルリンに住み、写真家として活動を続けた。作品の多くは、この東西冷戦を象徴する都市をめぐるものだ。
シュミットの代表作の一つ、『Waffenruhe(休戦)』(写真集刊行は1987年)はベルリンの壁を主要なモティーフとして冷戦末期のベルリンを見つめたものだし、壁の崩壊後に発表された『Ein-heit(統・一)』(写真集刊行は1999年)は、表題どおり、東西ドイツの再統一そのものを主題としていた。シュミットの写真の特徴である、独特の強度を持つモノクロームの画面は、彼が見すえようとしていたベルリンという都市をめぐる、歴史的・政治的な問題の重さに拮抗するものであるように見えた。
1990年代に台頭したドイツ現代写真を代表する、いわゆる「ベッヒャー派」の写真家たち、トーマス・ルフやトーマス・シュトゥルート、そしてアンドレアス・グルスキーらは、それぞれに戦後のドイツ社会という文脈を踏まえた作品から出発してはいても、国際的な評価を得るとともに、しだいに高度資本主義社会というグローバルな文脈の中で作家活動を展開するようになる。彼らより一世代若いヴォルフガング・ティルマンスの場合は、ロンドンのカルチャーシーンでの活躍からその評価を高めていった。
それに対して、シュミットはあくまで「ベルリンの写真家」だった。それも東西統一後、新生ドイツの首都となり、いちやくヨーロッパのカルチャーシーンの新たな中心地のひとつとなった新しいベルリンではなく、かつてのドイツ(つまりはドイツ帝国、ヴァイマール共和国、そしてナチスドイツ)の首都であり、東西に分断された街という、歴史の刻印を背負った都市としてのベルリンの写真家と位置づけるべき存在なのだ。それゆえに、そうした文脈を必ずしも共有していない日本では、ヨーロッパでの評価に比べて、シュミットは「知る人ぞ知る」存在であり、そのような意味において「異彩を放つ」存在だったのだ。
そのシュミットが最後に遺した写真集が『NATUR(自然)』である。明るいグリーンのクロスで装丁された、比較的小さな判型の写真集は、表題どおり、森の木々や湖面などをとらえたモノクロの風景写真、63点で構成されている。ページをめくると、ときおり挿入される、視界をさえぎるように捉えられた樹木のイメージなどには、かつての代表作が湛えていた独特の不穏さがよぎるものの、全体としては、淡々と自然の風景が連鎖していく。そこにシュミットはどのようなメッセージを託し、何を表現しようとしたのだろうか。
シュミットは、病床でこの写真集の編集作業にとりくんだのだという。文字通りの遺作である。そうした経緯を踏まえれば、「自然」と題されたこの静かな印象の写真集に、まずはある種の達観のようなものを感じ取るのは、それなりに納得のいくことだろう。だがおそらくそれだけではない。それだけではない何か、それを探る一つの手がかりとなりそうなのは、この写真集を構成する写真が撮影された年代だ。
巻末のリストによれば、最も撮影の早いものは1987年、もっとも遅いものは1997年。つまり2014年に刊行された「遺作」であるとはいえ、それは20数年前に撮影された写真によるものなのだ。そしてその撮影時期は先にあげた二つの代表作の間の時期に重なり、さらにはベルリンの壁崩壊と東西ドイツの統一という激動の時期にきっちりと重なっている。
より詳しく見れば、63点のうち40点が、ベルリンの壁が崩壊した1989年に撮影されたものだ。したがって、シュミットにとってこれらの写真群は、少なくとも主観的には壁の崩壊と東西統一という歴史的事件に結びつくものだったと想像することができる。だからこそ、「ベルリンの写真家」であるシュミットは、それまで発表してきた作品とは一見まったく趣きの異なる、この自然の風景をめぐる写真群を「遺作」の材料として選んだのではないか。つまりこれは、彼がライフワークとしてとりくんできたベルリンという都市のメタファーとして読むこともできる写真集なのではないだろうか。
そのように仮定してみるならば、この写真集にときおり現れる不穏さをはらんだイメージや、シュミットがくりかえしレンズを向ける、草木が複雑に絡み合った、見通しのきかない木立や藪のイメージは、にわかに意味ありげなものに見えてくる。それらは視界をさえぎり、こちら側とあちら側を隔てる「壁」のメタファーとして現れているのではないか。
もうひとつ気になるのは、写真集の中に何組か配された、同じ場所を少しずらした視点で撮影した複数のイメージの存在である。物事の見方を少しだけずらしてみること、あるいは少しだけ違って見える世界。それらは草木が複雑に絡み合う錯綜したイメージとあいまって、この写真集にシュミットが編み込んだメッセージの重層性を告げているように見える。
「1+1が3となる」、写真集を編集するということについて、シュミットはよくそのように語っていたという。複数のイメージが並べられ、連鎖することによって、新たな意味が生まれ、幾重にも伏線がはりめぐらされていく。これはベルリンのメタファーであるというのは深読みが過ぎるとしても、シュミットが遺作として編んだ、この自然の風景をめぐる一見静穏な写真集は、おそらく幾通りにもその意味を読み込んでいくことが可能な、容易には測りがたい深さを持つ作品であるようだ。
少なくとも、入念に編まれたこの写真集をくり返し注意深く見ていくことで、私たちは改めて写真集という書物を「読む」愉しみを再認識できるということは確かだ。だとすれば、シュミットはこの小さな写真集で、そうした書物としての写真集の本質をも示そうとしていたのかもしれない。Naturという単語には「本質」という意味もあるのだから。
NATUR
作家|ミヒャエル・シュミット(Michael Schmidt)
仕様|ハードカバー
ページ|104ページ
サイズ|179 x 239 mm
出版社|MACK
発行年|2014年
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